名古屋地方裁判所 昭和47年(ワ)2277号 判決 1982年1月29日
原告
山中秀夫
右訴訟代理人弁護士
花田啓一
右訴訟復代理人弁護士
長谷川正浩
被告
愛知トヨタ自動車株式会社
右代表者代表取締役
山口直樹
右訴訟代理人弁護士
那須國宏
同
近藤堯夫
主文
一 本件訴中昭和四九年八月二五日限り金二〇万五六三〇円の支払を求める部分を却下する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告が被告に対し、昭和四〇年一二月二日付降級処分、昭和四七年八月二九日付譴責処分、同年九月二九日付減給処分及び同年一二月一一日付降級処分の付着しない雇用契約上の権利を有することを確認する。
2 被告は原告に対し、金六六五万九七八三円及びこれに対する昭和四九年八月二五日から支払済まで年五分の割合による金員並びに同日から毎月二五日限り一か月金二〇万五六三〇円の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第2項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張(以下、略)
第三証拠(略)
理由
一1 被告が自動車の販売等を目的とする株式会社であり、原告が昭和三一年三月一日明治大学政治経済学部経済学科卒業と同時に被告に採用されてその従業員となったものであることは当事者間に争いがない。
2(一) 原告が昭和三八年四月一日経理部会計課会計係長になったこと、原告が昭和四〇年四月一六日中京ソニーに総務係長として出向したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば、原告は、入社と同時に車両部販売課に配属されたが、その後昭和三一年五月一日経理部会計課会計係に、昭和三二年四月一日同課統計係に、昭和三三年四月一日同課予算係に、昭和三五年四月一日同部債権課債権係に順次配置転換され、昭和三六年四月一日には同係長となり、更に昭和三七年四月一日から同課精算係長、昭和三八年四月一日から同部会計課会計係長を歴任し、昭和四〇年四月一六日中京ソニーに総務係長として出向したことが認められ、原告本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(二) ところで、原告は右中京ソニーへの出向は派閥人事による不当な左遷である旨主張するので、以下この点について判断する。
(1) 中京ソニーが資本金三〇〇万円のソニー株式会社製品の小売会社製品の小売会社であったこと、同社における原告の前任者が菅谷であったことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。
イ 被告は、肩書地(略)に本店を置き、愛知県下に約二〇の営業所を有する外、多くの関連会社を有しており、右関連会社に常時多数の出向者を派遣していた。
ロ 中京ソニーは、昭和三八年五月に被告の全額出資によって設立されたその関連会社であり設立当初から販売部門の、昭和三九年五月からは更に経理・総務部門の責任者各一名が被告から出向していた。しかしながら、同社は、資本金三〇〇万円、従業員約一〇名の小規模な会社でその業務もソニー商事から仕入れたソニー株式会社製品の小売というものであって被告本来の業務との関連は薄く、関連会社の中では相対的に低位に位置付けられていた。なお、昭和三九年五月から経理・総務部門の責任者として出向した菅谷は、入社四年目の一般職四級の従業員であった。また、被告の勤務時間は午前九時から午後五時までであるに対し同社の勤務時間は午前九時から午後六時までであった。更に同社の経理・総務部門には昭和四〇年四月以降は責任者の外には女子従業員一名がいるのみであった。
ハ 原告と同期の大学卒従業員は二、三〇名いたが、原告は、そのトップグループの一人として昭和三六年四月一日係長に昇進した。しかしながら、原告の人事考課結果は取り分け優秀であった訳ではなくむしろ標準をやや下回る程度であり、原告が右グループに加えられたのは、原告が経理部という管理部門に所属して定型的業務を担当していたため比較的他の者との優劣が決し難かったという事情によるものであった。そして、原告の係長としての人事考課結果も、同部債権課債権係長時代の債権回収運動におけるコンテスト方式の採用、回収成果の分析、同課精算係長時代の旭部品有限会社の取引継続の成功、同部会計課会計係長時代の勘定科目設定表の作成、その各営業所への配布等若干の功績もあったが、一般職当時と異ならず、標準をやや下回る程度であった。なお、係長時代の原告には数名(昭和三九年は四名)の部下がいた。
ニ 中京ソニーは、菅谷が昭和四〇年四月に被告に復帰することになったことから、その頃、被告に対して経理・総務部門(中心的業務は経理)の責任者の出向を要請してきた。その際、同社は、被告において係長職にある者の出向を希望した。そこで、被告は、人選の結果原告が適任であると判断して、これを同社に総務係長として出向させることにした。なお、昭和四〇年四月には、原告と同時期に係長に昇進した者の多くは課長に昇進しており、また同期の大学卒従業員中出向は原告が初めてであった。
以上の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(2) (証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。
イ 被告は、昭和一七年一一月二日旧名古屋トヨタ販売株式会社(以下「トヨタ販売」という。)、旧日産自動車販売株式会社名古屋支店(以下「日産販売」という。)を中心に愛知県下の自動車取扱業者が合同して設立された株式会社で、当初の商号は愛知県自動車配給株式会社であったが、昭和一八年一一月愛知県自動車整備配給株式会社に、昭和二一年九月愛知トヨタ販売株式会社に、昭和三三年八月愛知トヨタ自動車株式会社に順次商号変更され今日に至っているものであるが、その設立に際しては、トヨタ販売と日産販売との間に、設立後の方針について顕著な対立があった(トヨタ販売の利益代表者は、当時常務取締役であった山口昇、日産販売の利益代表者は当時支店長であった小泉俊英)。そして、設立後は、右山口昇が社長として、右小泉俊英が専務として、被告の経営に当った。なお、原告は、日産販売出身の南部常務(当時は経理部次長)の紹介で被告に入社したものである。
ロ 小泉専務は、昭和四〇年二月に死亡し、その後同年中に新たに四名の者が取締役になるという役員の異動があった(小泉専務以外に退任した取締役はなかった)。その際、南部常務は経理部・庶務部担当から経理部担当に、トヨタ販売出身の山口常務は礦油部担当から労務部・庶務部担当に替った。なお、新専務取締役松浦正隆はトヨタ販売出身であったが、新取締役中勝川正已は日産販売出身であり、小島広及び辻大作はトヨタ販売あるいは日産販売の出身者ではなかった。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そして、右ロの事実によれば、南部常務及び山口常務の担当替を考慮してもなお小泉専務死亡後の役員人事が日産系役員の左遷、トヨタ系従業員の昇進という性格のものであったということは困難であり、以上によれば、右イの事実の結果トヨタ販売出身者と日産販売出身者との間に当初対立があったとしても右は昭和四〇年頃までには解消していたものと認めるのが相当であり、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。また、原告は、同年四月日産系従業員の大幅な左遷人事が行われたと主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(3) 以上によれば、原告の中京ソニーへの出向は、栄転と評価し得るものではないが、経理・総務部門の責任者を同社に派遣するという被告の業務上の必要性に基づくものであり、また、原告の従前の担当業務、人事考課結果に照せばその人選に不合理な点は見出し難い上、原告主張の派閥抗争の存在も認め難いから、これを派閥人事による不当な左遷ということはできない。
二1 (被告の賞罰制度について)
(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
被告就業規則七八条には、労働能率の向上と社内秩序の維持を図るために賞罰を行う旨規定されており、同規則七九条には、賞罰の執行に関しては賞罰規程に基づき賞罰委員会に諮って行う(但し、昭和四六年五月一〇日の改正により、課長職以上のものについては常勤役員会に諮って行うことがある旨の条項が付加された。)旨規定されていた。そして同条に基づいて賞罰規程が設けられ、同規程は、所属部長及び所属長は従業員の中に賞罰に該当する者があると認めた場合は賞罰の申立をしなければならない旨定めており(旧規程三条、新規程二条)、また賞罰は原則として賞罰委員会に諮った後代表取締役が行う旨定めていた(旧規程四条、新規程三条)。そして、同規程による懲戒には、懲戒解雇、諭旨退職、降格・降級、減給及び譴責があった(但し、旧規程時代には降格はなかった。)。賞罰委員会は、会社側委員(昭和四〇年当時六名、昭和四七、四八年当時五名)と組合側委員二名(組合三役の中から任命される。)によって構成され、賞罰の申立に基づき、必要に応じて参考人あるいは本人からの事情聴取、調査等を行った上審議して、賞罰適用の有無、程度を決定することになっていた。なお、同委員会では議事録が作成された。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 (第一次降級処分について)
(一) 中京ソニーにおける原告の担当業務に、伝票・請求書・領収書等の作成・綴込・集計、現金出納、給料計算、保険関係計算、元帳・補助簿の記入・作成、月別損益計算書・貸借対照表の作成、銀行出納があったこと、原告の部下の女子従業員の中に退職した者がいたこと、同社がソニー式会計を採用していたこと、在庫管理の担当者が伊藤係員から片岩昭夫販売係長に替ったこと、被告が原告に対する賞罰委員会を開催したこと、原告が同委員会に喚問されたこと、被告が昭和四〇年一二月二日原告を第一次降級処分に付したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 中京ソニーの経理・総務部門の担当業務は、伝票・請求書・領収書の作成・綴込・集計、手形・小切手の作成、現金出納、給料計算、保険関係計算、元帳・補助簿の記入・作成、月別試算表・損益計算書・貸借対照表・諸経費内訳表の作成、銀行出納、労務・庶務関係の一般業務、セールスマン・電話の応対・取次等であり(なお、在庫管理は、当初営業部門が担当しその担当者が伊藤係員から片岩昭夫販売係長に替るといったこともあったが、その後経理・総務部門に所管替になり同部門の業務に加えられた。)、月別財務諸表は当月二〇日締で作成し翌月五日までにソニー商事に提出することになっていた。なお、中京ソニーではソニー式会計を採用しており、同方式によれば振替伝票を顧客別に作成することになっていたため多数の伝票が発生したが口座数は約二〇〇件と左程多くはなく、またいわゆるワンライティング方式になっていたためその後の集計作業等は比較的容易であり、殊に財務諸表の作成は、勘定科目が少ないこと、直接営業に関係のない取引が少なかったこと等から、被告のそれに比して極めて容易であった。そして、原告の職務は、同部門の責任者として月別財務諸表等の作成、現金出納、給料計算、勤怠管理等の重要な業務を自ら行う外、部下を使用して右業務を処理することであった。なお、同部門には、昭和四〇年三月までは責任者の外二名の女子従業員(天野、足立)がいたが、右天野が同月で退職したため、翌四月からは女子従業員は一名になった。しかし、多少の負担増はあるものの、右陣容でも業務遂行は十分に可能であった。
(2) 原告は、同社への出向を不服として同年五月初まで同社に赴任しなかった。そのため、菅谷が応援という形で残り原告の職務を代行した。同人は、原告への事務引継終了後も一週間程同社に留り同年四月分の財務諸表を作成し残務を完了して被告に復帰した。なお、その間、同人の求めにもかかわらず、原告は、業務に着手しなかった。そして、現実に業務に従事し始めた後も極めて低能率であり、菅谷の約三倍に当る一か月約六〇時間の残業をしたにもかかわらず(もっとも残業時間中食事に出掛け一時間程帰ってこないということもあった。)、月別財務諸表の提出は期限に間に合わなかった。そのため、ソニー商事から度々苦情が出、その従業員の応援を得て右書類を作成するということもあった。また、前記足立の業務は、伝票の作成・綴込・集計等を主体とするものであったが、原告は右業務を手伝わず(菅谷は適宜分担して行っていた。)、かえってその余の業務を押付けた。そのため、同女は右負担に耐兼ね他に転職した。前記在庫管理の所管替に際しては、自らその引継に立会わず十分な指導もしないまま右業務を担当させたため新入女子従業員が退職し、その補充として採用された女子従業員についても同様の事態が発生した。更に、原告は、従業員の勤怠を管理する立場にありながら、午前九時からの朝礼の最中に出勤するということを繰返した外、同年八月一〇日から一四日まで無断欠勤した。
(3) そこで、高橋社長は、同年一〇月九日原告に出勤停止を命じた上、原告の右所為につき被告に賞罰の申立をした。被告は、同月一二日原告に自宅謹慎を命じ、原告及び高橋社長からも事情聴取した後、同年一一月二日、八日、一一日の三回に亘って賞罰委員会を開催した(同月八日には、原告及び高橋社長も喚問された。)。そして、同委員会は同月一一日、原告は、管理者としての適格性に欠け旧規程三九条八号の降級事由「その他前各号に準ずる程度の不都合の行為があった場合」に該当するとして、これを一階級降級(期間なし)すべきである旨の決議をした。なお、同号によって準用されたのは、同条二号の「越権専断の行為により、正常な業務の運営を著しく阻害した場合」及び同条六号の「喧騒、その他不穏当な言動で会社の信用を毀損もしくは職場の秩序を紊した場合」であった。原告は、右決定に対し再審の申立をしたが、同委員会は、同年一二月二日これを却下した。そして、被告は、同日、原告を第一次降級処分に付した。なお、山口常務及び小島取締役は、自宅謹慎中の原告に対し、退職を勧めたが、これは処分されて被告に留まるよりもその前に退職するほうが有利であるとの配慮に基づくものであり、転職先も準備されていた。
以上の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(二) そこで、第一次降級処分の効力について判断するに、前認定の事実によれば、原告の中京ソニーにおける総務係長としての勤務態度は著しく不良という外はなく、被告がその管理者としての適格性を問題にしたことは十分首肯できるところであり、原告の右所為により中京ソニーの正常な業務の運営が著しく阻害されたこと、その職場の秩序が紊れたこと、同社のソニー商事に対する信用が失墜したこともまた明らかであるから、原告には、旧規程三九条二号、六号に準ずる程度の不都合な行為があったというべきである。そして、その賞罰執行手続についても不当な点は見出せない。
ところで、原告は、第一次降級処分は、小島取締役が原告を派閥抗争の具に利用しこれを被告から放逐するためになされたもので権利濫用である旨主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。その他、本件全証拠によるも、右処分が権利の濫用であるとするに足る事情は認められない(なお、原告は、山口常務及び小島取締役が原告に対して退職の勧告をなしたことは、被告の前記意図を如実に物語っている旨主張するが、前認定の事実によれば、右退職勧告がかような意図の下になされたものでないことは明らかである。)。
従って、第一次降級処分は有効であり、右処分が原告に対する不法行為を構成するということはできない。
なお、被告が原告に対して自宅謹慎を命じたことは前認定のとおりであり、(証拠略)によれば、旧規程三三条は「従業員が第四〇条に該当するおそれがあり、緊急にその執務を停止する必要があると認めたときは、自宅待機を命じることがある。」と規定しまた同規程四〇条は諭旨退職及び懲戒解雇事由を定めていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないところ、原告は、自宅待機は従業員が刑事事件を起して解雇される可能性がある場合になされるその前段的処置であるのが一般であるところ原告は刑事事件を起した訳ではなくまた原告が同規程四〇条に該当する行為をしたものでないことは明らかであるから、被告が原告に対して自宅待機を命じたこと自体不当である旨主張する。そして、右自宅謹慎がその実質において自宅待機と異ならないことは明らかである。しかしながら、同規程三三条は被告において担当すべき職務のない出向者が出向先からその就労を拒否され賞罰の申立がなされた場合まで想定して規定されたものとは解し難い上(この場合、被告に当該出向者に対して直ちに新職務を付与する義務あるいは出向先の意に反しても同人を同社において就労させる義務があると考えることは明らかに不合理である。)、右自宅謹慎は懲戒処分ではなくまた賃金不支給の効果を伴うものではなかった等の事情を考慮すれば、被告の原告に対する右措置は必ずしも不当とはいえず、これが原告に対する不法行為を構成するということもできない。
3 (スポーツガイドへの出向について)
(一) 被告が昭和四〇年一二月二日原告をスポーツガイドの経営する上野自動車学校に出向させたこと、その後原告が同社日進自動車学校に配置転換されたこと、右出向が昭和四三年三月三一日限りで解除されたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。
被告は、前記のとおり中京ソニーにおける勤務態度に問題がありそのため同社から出勤を停止され賞罰の申立がなされた原告を第一次降級処分に付すとともに、再度他に出向させてその勤務態度をみることにし、昭和四〇年一二月二日これをその関連会社であるスポーツガイドの経営する上野自動車学校に出向させた。ところが、同校は、当時、道路交通法九八条所定の指定自動車教習所として未だ開校前の状態にあり、その従業員によって開校準備作業が進められていた。そのため、同校に配属された原告も、右従業員らとともに、約一か月間、同校に通じる堤防上の道路の整備、自動車練習コースの整備・草取り、洗車等の作業に従事したが、昭和四一年一月には、同社日進自動車学校へ配置転換された。同校は、当初原告を学科指導員として使用する予定であったが、原告が公安委員会の審査に合格しなかったため、これに自動車教習課程の集計・分析、配車、試験の立会等の業務を担当させた。原告は、右業務を一応大過なく遂行していたが、その勤務態度は積極性を欠き十分に期待に応えているとはいい難いものであった。そのため、スポーツガイドから被告へ原告の出向を解除すべく要請があったこともあった。ところで、被告と組合との間には、本人の意向を無視して三年間以上出向させない旨の協定があった。そして、中京ソニー時代から通算すれば三年の期間が経過するということから、原告のスポーツガイドへの出向は、昭和四三年三月三一日限りで解除された。
以上の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。なお、原告は、原告の日進自動車学校への配置転換は同校宮坂校長が上野自動車学校における原告の処遇を見兼ねて被告に進言した結果実現したものである旨主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) ところで、原告は、右スポーツガイドへの出向は、原告を退職に追込むための嫌がらせである旨主張する。しかしながら、前認定のとおり被告においては関連会社への出向は特異な事態ではなく、また原告は当時中京ソニーへの出向者でありながらその勤務態度に問題があったため同社から就労を拒否されていた等の事情を考慮すれば被告が原告を第一次降級処分に付すとともに再度関連会社に出向させその勤務態度をみることにしたことは不当とはいえず、また、上野自動車学校における前記作業は開校を目前に控えているという特殊な事情の下で他の従業員とともに原告に課されたものである上その従事期間も約一か月間と短くその後原告は日進自動車学校において前記業務を担当するようになった等の事情に照せば、その出向先の選定に不当な意図が介在していたということもできない。
従って、スポーツガイドへの出向が原告に対する不法行為を構成するということはできない。
4 (保険代理店室への配属について)
(一) 原告がスポーツガイドへの出向解除後の昭和四三年四月一日保険代理店室に配属され自動車損害賠償責任保険契約の継続業務を担当したこと、右業務の遂行には自動車の使用が不可欠であること、原告がバス、市電を利用したこと、原告の担当地域が名古屋市中区を主体とする地区であったことは当事者間に争いがなく、右争いがない事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。
原告は、スポーツガイドへの出向が解除された後、昭和四三年四月一日、保険代理店室に配属された。同室は、本店社屋内にあり、名古屋市愛知県一宮市及び岡崎市等における自動車損害賠償責任保険契約の継続及びその保険料の集金を主たる業務としていた。そして、同室では、当時、約六名の、主として年配の高校卒業以下の営業担当者が担当地域を分担して右業務に従事していたが、原告にも右職務が与えられた。ところで、右業務においては顧客の訪問が重要な営業活動になることから自動車の利用が不可欠であったが(自動車は被告から貸与される。)、原告は、配属直後から低血圧症であることを理由にその運転を拒否した(なお、原告は、同年九月、低血圧を理由に被告の診療所で診察を受けたことはあるものの、年二回の定期健康診断においては異常は認められず、また、一時自動車を利用して通勤していた時期もあった。)。そこで、やむなく、同室では、原告に対して市電、市バスの利用を許し(その費用は被告負担)、担当地区も当初の予定を変更して名古屋市中区及び昭和区の西部という本店近くの業務の容易な地域を割当てた。しかし、原告は、顧客訪問を十分に行わなかった。そのため、同室では、原告に割当てた顧客の一部を他の営業担当者に回すという措置を採らざるを得なかった。しかも、原告の保険継続率は非常に悪く、他の営業担当者の半分以下であった。その結果、他の営業担当者の月平均売上は一二〇万ないし一三〇万円であったのに対し、原告のそれは、二、三〇万円にしかならなかった。そのため、同室では、労務部に対し、再三原告の配置転換を要求した。
以上の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。なお、原告は、昭和四三年二月初山崎次長(当時は労務部人事課長)に血圧が低く目が疲労した場合は軽い貧血状態になって目眩を起すことがあるので自動車の運転はできない旨伝え更に内示の際にも同次長にその旨繰返して職種変更を要請した旨主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。また、原告は、名古屋市中区及び昭和区西部は従来から非常に保険継続率が悪かった旨主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) ところで、原告は、原告の経歴よりすればスポーツガイドへの出向解除後は経理事務を担当させるのが当然であり、これを保険代理店室に配属し自動車損害賠償責任保険契約の継続及びその保険料の集金という付随業務を担当させたことは不当である旨主張するが、原告の中京ソニー出向後の勤務状況に照せば、右主張が採用できないことは明らかである。また、原告は、被告は自動車の運転は健康上の理由でできない旨の原告の申出を無視してこれに右業務を担当させたことは不当である旨主張するが、原告が保険代理店室配属前にかかる申出をしたことが認められないことは前記のとおりである上、被告は、右申出後は市電、市バスの利用を許し担当地区についても相応の配慮をしているのであるから、その間の被告の措置に不当な点があったということはできない。
従って、保険代理店室への配属及び同室での処遇が原告に対する不法行為を構成するということはできない。
5 (トヨタ興業への出向について)
(一) 被告が昭和四四年三月三一日原告をトヨタ興業に出向させたこと、原告が同社において保険課に配属され事故処理業務等を担当したこと、その後原告が同社総務課に配置転換されたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。
前記のとおり原告の保険代理店室における勤務態度は甚だ悪くそのため同室から労務部に対して再三その配置転換の要求もなされていたので、被告は、昭和四四年三月三一日、原告をトヨタ興業に出向させた。同社は昭和四三年三月に設立され同年四月一日から営業を開始した被告の関連会社で(従業員数は約二〇〇名、但し、被告からの出向者は少なかった。)、自動車学校の経営、トヨタオート愛知株式会社等愛知トヨタグループ各社の販売した自動車に関する保険業務等を営んでいた。そして、原告は、愛知トヨタグループ各社販売に係る自動車についての損害賠償責任保険契約等に関する業務を担当していた同社総務部保険課に配属され(同課の従業員は四、五名でうち三名は営業担当者であった。)、期間満了の迫った顧客のリスト作り、右顧客に対する営業活動の結果の整理、保険事故発生の場合の窓口的業務等を命ぜられた。なお、同年七月頃同課に自動車事故の相談係が新設されてからは(同係は、藤谷総務部次長の発案により、付保率向上のため、従前営業担当者が個別に行っていた事故処理の窓口を一本化し、愛知トヨタグループ各社に対して責任体制を明確化するために設けられた。)、原告は、その連絡先に指定され対外的にも明確な形で事故処理の窓口業務を担当するようになり、保険会社の担当者とともに同グループ各社を事故相談のために訪問することもその職務に加えられた。また、営業担当者不在の場合は、原告自ら事故処理に当った。ところが、原告は、仕事に対する熱意が薄く、原告の電話の応対につき顧客から再三苦情が持込まれた外、営業担当者に対する連絡も不十分であり、原告が事故処理を担当した場合かえって事態が紛糾したこともあった。そのため、他の従業員の負担が増え、原告と右従業員らとの関係は悪化し、なかには原告の配置転換を要求する者もあった。そこで、トヨタ興業は、昭和四六年四月二〇日、右軋轢解消のため、原告を人間関係の少ない総務部総務課採用調査係(同係では六〇才位の嘱託従業員が一人で採用調査を行っていた。)に配置転換し右調査の資料整理を担当させ併せて担当者不在の場合の事故処理を行わせた(なお、その頃から原告の出勤率は非常に悪くなった。)。そして、以上のような原告の勤務態度を不満として、トヨタ興業は、被告に対し、その出向の解除を求めた。
以上の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。なお、原告は、右出向は、昭和四四年三月一八日山口社長に対して第一次降級処分の撤回等を要求した原告の行為が山口常務及び労務部長山口昌良を立腹させたため実施されたものであり出向後は仕事は勿論机すら与えられなかった旨主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。また、原告は、事故処理担当者として業績を挙げた旨主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、(証拠略)によっても右事実を認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。更に、原告は、山口常務は、トヨタ興業に対して原告に仕事を与えないよう指示した旨主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) ところで、被告は、原告のトヨタ興業への出向は不当であり、また、同社における原告の処遇も不当であったところ右は被告の指示に基づくものである旨主張する。しかしながら、前記(一)掲記の事情に照せば、右出向は、不当な意図の下になされたものということはできず、また、原告の保険代理店室における勤務態度等を考慮すれば、その権限を濫用したものということもできない。更に、原告の従前あるいはトヨタ興業における職務遂行状況に照せば、同社における原告の取扱に不当なものがあったということはできず、まして被告が同社に命じて原告に対して不当な処遇をさせたなどとは到底いえない。
従って、トヨタ興業への出向及び同社での処遇が被告の原告に対する不法行為を構成するということはできない。
6 (礦油センターへの配属及び同センターにおける処遇について)
(一) 原告がトヨタ興業への出向解除後の昭和四七年四月一日愛知県愛知郡日進町所在の礦油センターに配属されオイル缶等の運搬、整理等を担当したこと、原告が同年五月からエマージェンシーキットの分解組替作業を担当したこと、原告が当初約五〇セットの分解組替をしたこと、原告が同年六月診断書及びレントゲン写真持参の上肺結核に罹患している旨申出でたが、被告は原告の職務を変更しなかったこと、原告が右疾病を理由に休職することはしなかったことは当事者間に争いがなく、右争いがない事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 前記のとおり被告では労使協定により本人の意に反して三年間以上の出向はさせないことになっていたところ、昭和四七年三月で原告のトヨタ興業への出向が三年を経過することになったので、被告は、その頃、その後の原告の配属先を決定するため本店各部課長にその受入を打診したが、同人らは、原告の従前の勤務態度を知っていたためいずれもこれを拒否した。そこで、被告は、原告の配属先について苦慮し、やむなく労務部担当の山口常務が兼務していた礦油部でこれを受入れることにし、当時礦油部の事務部門の業務は男女各若干名の従業員で十分事足りており原告に与えるべき余剰の業務はなかったこと、原告の従前の勤務態度よりすれば原告には事務職としての適格性がないと判断されたこと等の事情から、礦油センターにおいて在庫管理の仕事を担当させその勤務態度如何によりその後の処遇を考えることにして、同年四月一日、原告を同センターに配属した。ところで、同センターは愛知県愛知郡日進町にあり、原告は当時津市に居住していたが、労務部あるいは組合の調査によっても、公共交通機関を利用して津市から同センターへ通勤することは可能ということであった。また、原告は、一人住いをしていたものであり、昭和三三年頃からは名古屋市港区土古に市営住宅を賃借していたところ同住宅は当時も使用可能であった。
(2) 同センターは、オイル缶、自動車部品等の在庫管理を業務とする倉庫であり、原告の職務は、宮崎係長外一名の従業員とともに約二〇ないし三〇キログラムのオイル缶、オイル缶入カートンケース等を搬入、移動等の際にフォークリフト積載用のパレットに積上げる等の作業を主体とするものであった(なお、その際の運搬距離は一メートル程度であった。)。原告は、配属当初は一応右作業に従事していたが、約二〇キログラムのオイル缶を一メートル運ぶにも転がして行うといった有様で非常に能率が悪く、また、そのためにオイル缶が傷むこともあった。ところが、原告は、約一か月を経過した頃から病弱を理由に右作業をほとんどしなくなった(なお、当時の原告の体重は約四〇キログラムであった。)。そこで被告は、やむなく、当初各営業所で行わせる予定であったエマージェンシーキットの分解組替作業を同センターに集めて原告に行わせることにした。同作業は、右キットに入っているオイル缶、パンクリペア、セイフティ・シグナル及び携行ポリ容器を同種の製品ごとに分類整理して組替えるといった単純軽作業であった。原告は、同作業を同年五月中旬から七月末まで担当したが、当初は一日に約五〇セットの組替を行っていたものの次第に組替セット数が減少し最終的には一日数セットになってしまった(その間の組替総数は七百数十セット)。そしてその余の時間は、名古屋市昭和区高辻町にある被告の診療所に行ったり(但し、これは被告の許可の下に行われた。)、倉庫内外をぶらぶらしあるいはメモを取る等をしていた(なお、原告は、同年五月中旬頃、名古屋大学医学部付属病院で膵臓の検査を受けたが異常はなかった。)。そこで、被告は、その後は、原告にダンボール箱の焼却、宣伝パンフレットの整理等の雑務をやらせていた。なお、原告は、同センター勤務中欠勤はなく、また、記録に残る遅刻等もなかったが、就業開始時間である午前九時から作業を開始することはほとんどなくいつも一〇分程度は遅れていた。以上の期間を通じて宮崎係長あるいは加藤課長は原告に対して再三勤務態度を改め真面目に仕事に取組むよう注意したが、原告は、その態度を改めず、殊に宮崎係長に対しては「定年近くの者には何もいいたくない。自分を他に配転するよう本社に働きかけるのがあなたの職務だ。」等と暴言を吐いたこともあった。
(3) 原告は、同年六月五日頃、同月三日付の肺結核に罹患しているが軽勤務ならば可能である旨の記載のある遠山病院の診断書及びレントゲン写真を持参して被告にその配置転換と軽勤務を求めた。そこで、被告は、原告に対して休職して療養に専念することを勧めたが、原告は、休職すれば賞与が貰えなくなる、肺結核で休職すると結婚に差支える等と主張してこれに応じなかった。なお、被告においては、就業規則二一条により、解雇あるいは退職の原因となる休職期間の満了は結核性疾患の場合は一般私傷病の場合(一年)と異なり三年とする旨定められており、また、右休職期間中も、慶弔見舞金規程、共済会規約、健康保険法及び愛知トヨタ健康保険組合規約に基づき、原則として、被告らから、当初の一年三カ月間は賃金のほぼ全額、その後一年間はそのほぼ六割に相当する金員が支給されることになっていた外、見舞金名目で賞与の半額程度の金員が支払われることになっていた。そこで、被告は、嘱託医に右診断書及びレントゲン写真を示し、作業環境及び原告の職務(エマージェンシーキットの分解組替作業)を説明して、所見と指示を求めた。右嘱託医は、原告の肺結核は新旧判然とはしないが右診断書に軽勤務ならば可能との記載があること等から判断すれば恐らくは古いものであり(なお、同年九月二〇日付の遠山病院の診断書には、「肺野特に右肺に陳旧性結核病巣あり」との記載がある。)、また、エマージェンシーキットの分解組替作業は右にいう軽勤務であり同作業を続けさせることは差支えない旨述べた。そこで、被告は、原告に従前の職務をそのまま担当させた。なお、礦油センターは、南北に長い大きな倉庫で天井は高く、換気扇が四台ある外天井には通気孔もあり、西側及び北側にはフォークリフトが二台通過できる出入口が設けられこれが常時開放されていて通風は良く(但し、開閉できる窓はなかった。)、倉庫内でフォークリフトが稼働することから多少の排気ガスはあったが微量であり、人体に影響を及ぼす程度のものではなかった。屋根はスレート葺であったが、室温が異常に高いということもなかった。そして、原告は、右北側出入口近くの通路(フォークリフトは、出入口としては西側のものを使用しており、北側にはほとんど来なかった。)に座って右作業をしていた。
以上の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(二) 以上によれば、原告を礦油センターに配属しオイル缶等の運搬を主体とする肉体労働に従事させたことは、他に適当な配属先及び担当業務がなかった結果やむなく採られた措置というべきであり、また、前記のとおり被告は愛知県下に多数の営業所を有していたものであるところ、原被告間の労働契約において特定の事業場を就労場所とする旨の合意があったことを認めるに足りる証拠はないこと、被告は公共交通機関を利用して津市から同センターへ通勤することが可能であることを事前に調査していること、原告は当時一人住いであったのであり前記市営住宅から通勤することを妨げる事情も見出し難いこと等の事情を考慮すれば当時原告が津市に居住していたことを理由に右配属が不当であったということもできない。原告は、右配属は、昭和四六年九月南部常務がトヨタ興業を退職した後に更に露骨になった原告を退職に追込むための策謀である旨主張するが、原告主張の派閥抗争なるものの存在が認められないことは前記のとおりであるから、右主張は採用できない。また、原告は、右配属は原告の学歴、経歴、適性等を全く無視している旨主張するが、原告が同センターに配属されるに至る経過からすれば、大学卒で主としてデスクワークに従事してきた原告を同センターに配属したことは必ずしも不当とはいえないし、また、前記作業内容は特段重労働という程度のものとは認め難いから、その体力を無視したものということもできない。そして、同センターにおける原告の作業態度、エマージェンシーキットの分解組替作業が単純軽労働であったことを考慮すれば、被告がその後原告に同作業を担当させたことも不当とはいえない。
次に、原告が肺結核である旨の診断書及びレントゲン写真を持参して配置転換と軽勤務を希望したにもかかわらずこれに応じなかった被告の措置の当否について判断するに、肺結核にあっては過去にこれに罹患した場合であってもその痕跡が肺野に残存することのあることは公知の事実であること、前記診断書及びレントゲン写真を示された被告の嘱託医の所見が原告の肺結核は恐らく古いものであろうというものであったこと、遠山病院の昭和四七年九月二〇日付診断書に既に陳旧性なる言句が使用されていたこと、原告が顕著な不利益が及ぶという事情がないにもかかわらずあくまで軽勤務による就労を希望したこと等の事情を総合すれば、原告の肺結核はいわゆる既応症としてのそれに過ぎないものであったと認めるのが相当である上、被告は、前記同年六月三日付診断書及びレントゲン写真を示し原告が従事する作業の内容及び作業環境を説明して嘱託医に原告の処遇について指示を仰ぎ、右作業を続行させても差支えないとの回答を得た上で、原告に従前の作業を続けさせたものであり、また、前認定の同センターの作業環境も必ずしも悪いものとはいえないから、右措置が不当であるとか、被告に当時の労働基準法五二条四項あるいは被告就業規則一〇一条(<証拠略>によれば当時の被告就業規則一〇一条は「衛生管理者が一定の保護を必要と認めた者は要注意者として就業制限または期間を定めて軽易な業務に転換させることがある。」と定めていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。)に違反する事実があったとかいうことはできない。その他原告が同センターにおける作業の結果健康を害したことを認めるに足りる証拠もない。
従って、礦油センターへの配属及び同センターでの処遇が原告に対する不法行為を構成するということはできない。
7 (譴責処分について)
(一)(1) 被告が昭和四七年八月二九日原告を本件譴責処分に付したことは当事者間に争いがない。
(2) (証拠略)によれば、次の事実が認められる。
仲田部長は、原告の礦油センターにおける勤務態度等につき賞罰の申立をした。そこで、昭和四七年八月一〇日、二三日の二回に亘って全委員出席の上、賞罰委員会が開催された。同委員会は、加藤課長及び宮崎係長を喚問し右両名から事情聴取した上審議して、原告の同センターにおける勤務態度は、新規程二一条三号、六号及び一七号に定める譴責事由に該当すると判断し、原告を同処分に付すべきである旨の決議をした。原告は、本件譴責処分の後、再審の申立をし、同年九月五日、再審の賞罰委員会が開催され(委員は一名欠席した外は全員出席)加藤課長、宮崎係長及び原告から事情聴取の上審議が行われたが、同委員会は、原告の申立を却下した。
なお、新規程二一条三号、六号及び一七号の定めは次のとおりである。
二一条三号 出勤常ならず業務に不熱心なとき
六号 正当な理由なく職務上の指示、命令に従わないとき
一七号 その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があったとき
(二) そこで、本件譴責処分の効力について判断するに、前記のとおり同センター勤務中原告には欠勤はなかったのであるから、原告が新規程二一条三号に該当しないことは明らかであるが、前認定の原告の同センターにおける勤務態度は著しく不良というべきであり、殊にエマージェンシーキットの分解組替が最終的には一日に数セットしかなされていないことよりすれば、原告主張の箱の組立等の付随作業を考慮してもなお、原告は故意にその業務遂行を怠っていたものといわざるを得ず、しかも原告は加藤課長や宮崎係長から注意されてもその勤務態度を改めず宮崎係長には前記のごとき暴言を吐いたこともあったのであるから、その所為は、同条六号に該当するというべきである。そして、右賞罰執行手続についても不当な点は見出せない。
ところで、原告は、本件譴責処分は原告を派閥抗争の具に利用しこれを被告から放逐するためになされたもので権利濫用である旨主張するが、右事実を認めるに足る証拠はなく、また、他に右処分は権利濫用であるとするに足る事情も認められない。
従って、本件譴責処分は有効であり、原告を同処分に付したことは何ら不法行為を構成するものではない。
8 (高辻サービスステーションへの配置転換及びその後の処分について)
(一) 被告が昭和四七年九月原告を高辻サービスステーションに配置転換しガソリンスタンド内の清掃整理等を担当させたこと、被告が同年一〇月二日、同年九月二九日付で原告を本件減給処分に付したこと、被告が賞罰委員会を開催した上同年一二月一八日、同月一一日付で原告を第二次降級処分に付したこと、被告が同委員会を開催し原告の供述を聴取した上昭和四八年八月二四日原告を懲戒解雇したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)、昭和四八年一〇月一五日中村晃彦撮影に係る高辻サービスステーションの写真であることに争いのない(証拠略)ないし(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 前記のとおり礦油センターにおける原告の勤務態度は甚だ悪く、宮崎係長から再三その配置転換の要請があったため、被告は、最早同センターにおいて原告に担当さすべき業務もないこと、原告が肺結核に罹患しているので軽勤務にしか就けないと主張していること等を考慮して、一層単純な軽作業を担当させてその勤務意欲の向上を図ろうと考え、昭和四七年九月九日、原告を高辻サービスステーションに配置転換した。同サービスステーションは、名古屋市昭和区高辻交差点東北角にあるガソリンスタンドで、給油、オイル交換、洗車、ガソリン等の配達等を営んでおり、当時同サービスステーションでは、中島係長以下七名の従業員が右ガソリンスタンド本来の業務に従事していた。そして、原告の配属を受けることになった同サービスステーションでは、原告の従前の勤務状況を考慮して、従来右従業員らが右職務の合間に行っていた更衣室の掃除、リフト室の掃除・整理整頓、ドライブウェイの掃除、ガソリン類計量器の掃除、洗車仕上等を担当させることにし、同日、原告に右職務内容及び時間配分を記載した「山中秀夫職務内容」と題する書面を交付した。同サービスステーションでは、営業時間が長いため、午前八時一〇分から午後四時五分までの早番と午前一〇時五五分から午後七時までの遅番とを一週おきに担当するいわゆる二交替制が採られていたが、原告も他の従業員同様右交替制勤務体制に組入れられた。なお、高辻交差点は交通量も多く、また、同サービスステーションには一日平均二、三〇〇台の利用車(土曜日や連休明はもっと多い。)があるため、同サービスステーションは、排気ガスや埃の影響を受けていたが、戸外にあるため通風は良くこれらが常時充満している状態にあった訳ではなく、右配置転換に際して、被告がその嘱託医に作業環境、職務内容を説明して指示を仰いだところ、原告に同サービスステーションにおいて前記作業をさせることは差支えないとの回答が得られた。
(2) ところが原告は、欠勤、遅刻等はなかったものの、右配置転換後も勤務意欲を示さず、中島係長が注意しなければ仕事に取掛らず、また、その際も極く簡単な作業にも長時間をかけ、しかもいい加減にしか行わなかった。ドライブウェーの掃除は、当初は不満足な仕事振ではあったものの一応これに従事していたが、その後直射日光は身体に悪いなどと称して命令を無視し一切行わなくなってしまった。結局、原告は、勤務時間中極く僅かの時間作業に従事するのみで、残余の時間は部品庫内でメモを取っていることがほとんどであった。そのため、付随作業を原告に任せることにより他の従業員の負担を軽減させるという当初の目的は全く果せなかった。そして、田島次長、加藤課長及び中島係長らの再三の注意にもかかわらず、原告は、右態度を改めなかった。
そこで、被告は、仲田部長の申立に基づき、昭和四七年九月二九日、原告の右勤務態度について賞罰委員会を開催し(委員は一名を除き全員出席)、同委員会は、書面審理の上、原告の右所為は新規程二一条三号、六号の譴責事由に該当するが同規程一二条により処分を加重して原告を減給処分(同年一〇月分賃金から二一四二円減給)に付すべきである旨の決議をした。そして、被告は、同年一〇月二日山崎次長を通じて口頭で原告に対し同年九月二九日付で本件減給処分に付す旨通告した(但し、決裁の遅れで辞令交付は約一週間後になった。)。原告は、これに対して再審の申立をしたが、同委員会は、同年一〇月一七日委員全員出席の上書面審理してこれを却下した。
なお、新規程一二条の定めは、次のとおりである。
一二条 懲戒処分を受けた者が一年以内に更に懲戒に該当する行為をした場合はその内容により懲戒を加重することがある。
(3) 本件減給処分にもかかわらず原告の勤務態度は改まらず従前のとおりであり、かえって悪化の傾向さえ示し、そのため、他の従業員の負担は増加した。また、原告が顧客に挨拶をせず、事務所内の応接用椅子に座って顧客が来ても席を譲らないとの態度を採ったこと等から、昭和四七年一〇月末頃からは、顧客からの苦情が持込まれるようになった。そして、原告は、上司の再三の注意にもかかわらず、右勤務態度を改めなかった。
そこで、被告は、仲田部長の申立に基づき、同年一二月五日、一一日の両日に亘って賞罰委員会を開催し(委員は全員出席)、同委員会は、同月一一日には、加藤課長、中島係長及び原告からの事情聴取も行った上審議して、原告の右所為は新規程二一条六号に該当すると判断し、原告を降級処分に付すべきであるとの決議をした。そして、被告は、同月一八日、原告を同月一一日付で第二次降級処分に付した。これに対しては、再審の申立は行われなかった。
なお、同規程二一条は譴責事由を定めたものであるが、その但書には「ただし違反行為が著しいか、または二以上の重複する違反行為を犯した場合は減給もしくは降格・降級に処することがある。」との規定がある。
(4) 第二次降級処分にもかかわらず、原告の勤務態度は改まらず、従前のとおりであった。そのため原告の職務の代行、不十分な仕事の跡始末、接客態度不良を理由に持込まれる顧客の苦情への対処等により負担の増加した他の従業員の間には原告に対する批判が高まり、その排除を求める声も出てきた。そして、原告は、上司の再三の注意にもかかわらず、右勤務態度を改めなかった。
そこで、仲田部長は、原告の勤務態度につき賞罰の申立をした。被告は、次の処分としては解雇が予想されることから、賞罰委員会の開催を遷延させていたが、昭和四八年六月二七日に至り同委員会を開催した(同委員会には加藤課長、中島係長外数名の従業員から原告の配置転換を求める嘆願書さえ提出された。)。同委員会は、同日、同年七月一〇日、二六日、八月二三日の四回に亘って開かれ(委員は、同年七月二六日に二名欠席した外は全員出席)、同月一〇日には田島次長、加藤課長、中島係長及び中村晃彦(高辻サービスステーション勤務従業員)から、同年八月二三日には田島次長、加藤課長及び原告からそれぞれ事情を聴取した上審議して、原告の右所為は新規程二〇条三号、九号に定める懲戒解雇または諭旨退職事由に該当するところ、同規程一二条により原告は懲戒解雇すべきである、但し原告が任意退職に応じた場合は右取扱をすべきである旨の決議をした。ところが、原告は、任意退職に応じなかった。そこで、被告は、同月二四日、原告を懲戒解雇した。これに対しては再審の申立はなされなかった。
なお、同規程二〇条三号、九号の定めは次のとおりである。
二〇条三号 懲戒を数回うけたにもかかわらず改悛の見込がないとき
九号 正当な理由なく会社の命令に従わず、正常な業務の運営を阻害したとき
以上の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、(証拠略)によるも右認定を覆すに足りず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。なお、原告は、ドライブウェーの掃除をしないことについては田島次長の許可を得ている旨主張するが、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二)(1) (高辻サービスステーションへの配置転換について)
前記(1)の事実によれば、原告の高辻サービスステーションへの配置転換は、礦油センターの再三に亘る原告の配置転換の要請、軽勤務を希望する原告の主張及びその勤務状態等を考慮してなされたものであり、その際、嘱託医の指示を仰いで右配置転換を行うことは差支えない旨の回答を得ている等原告の健康状態に対する配慮もなされているのであるから、不当であるということはできない。原告は、肺結核に罹患しているにもかかわらず環境の悪い同サービスステーションに配置転換し、何らその必要もないのに原告を二交替制勤務に組入れ早朝出勤・深夜帰宅を余儀なくさせたことは不当であり、これは当時の労働基準法五二条四項及び被告就業規則一〇一条に反する、あるいはその担当職務は原告の学歴、経歴に適合しない旨主張するが、前記のとおり原告の肺結核は既応症に過ぎず、嘱託医も原告を同サービスステーション勤務にすることは差支えない旨回答していること、原告の担当職務はガソリンスタンドの営業活動の付随業務であるから営業時間中は常にその作業の必要があると考えられること、同サービスステーションにおける二交替制によって定められた勤務時間帯は一般には従業員に特に重大な負担を課すものとはいえないこと、前記のとおり原告には名古屋市内から通勤することを妨げるべき事情もなかったこと等を考慮すれば、原告を同サービスステーションに配置転換し二交替制勤務に組入れたことは不当であるとか当時の労働基準法五二条四項あるいは被告就業規則一〇一条に反するとかいうことはできず、また原告の従前の勤務状況よりすればその担当職務が学歴、経歴に適合しないと批判することは困難であるから、原告の右主張は採用できない。
(2) (減給処分の新規程該当性について)
前記(2)の事実によれば、原告には欠勤、遅刻等はなかったのであるから、原告は新規程二一条三号には該当しない。しかしながら、原告の勤務態度は著しく不良であり、右態度よりすれば、原告は故意にその職務を怠っていたものと評価せざるを得ず、しかも上司の再三の注意にもかかわらずこれを改めなかったのであるから、同条六号には該当するというべきである。そして、原告がその一年以内である昭和四七年八月二九日に懲戒処分の一つである譴責処分に付されたことは前記のとおりであるから、同規程一二条により処分を加重したこともその要件を充たしているというべきである。また、右賞罰執行手続にも不当な点は見出せない。
(3) (第二次降級処分の新規程該当性について)
前記(3)の事実によれば、前同様の理由により、原告は新規程二一条六号に該当するというべきである。そして原告は、本件譴責処分及び減給処分にもかかわらず勤務意欲の向上が全くなかったものであるから、同条但書の違反行為が著しい場合にも該当する。また、右賞罰執行手続にも不当な点は見出せない。
(4) (懲戒解雇の新規程該当性について)
前記(4)の事実によれば、原告は、本件譴責処分、減給処分及び第二次降級処分(これが権利を濫用した無効な処分でないことは後記(5)のとおり)にもかかわらず勤務意欲の向上が全くなかったのであるから新規程二〇条三号に該当することは明らかである。また、同事実によれば原告はその職務を故意に怠り上司の注意にもかかわらずこれを改めなかったのであるから、正当な理由なく会社の命令に従わなかったものというべきであり、その結果他の従業員の負担が増加しこれに耐え兼ねた右従業員らから原告の配置転換を要求するという事態に至ったものであるから高辻サービスステーションの正常な業務の運営を阻害したものであるというべきであって、同条九号にも該当する。そして、本件譴責処分、減給処分及び第二次降級処分はいずれも一年以内に行われた懲戒処分であるから、同規程一二条の趣旨を参酌すれば同規程二〇条の処分の選択に当って懲戒解雇を選択したことも肯認できる。また、右賞罰執行手続にも不当な点は見出せない。
(5) (右各処分に対する権利濫用の主張について)
原告が昭和四七年九月二八日名古屋地方裁判所に本訴を提起したことは当事者間に争いがなく、また、(証拠略)によれば、被告は、同年一〇月二五日頃、原告の実姉であり保証人である小林とし子及び佐波清子に対し、内容証明郵便で、公正な社内処分につき訴訟を提起することは社内規律上放置しておく訳にはいかないので重大な決意をしなければならないと思料している旨通告したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないところ、原告は右各処分は本訴提起に対する報復処分である旨主張する。また、原告は、右各処分は極めて短期間のうちに繰返された重複処分である旨主張する(なお、原告は、組合委員長阿部浩道は被告は本訴を取下げなければ原告を解雇すると言っている旨伝える等してその取下を勧告した、あるいは、山崎次長は本訴を取下げなければ解雇する旨の発言をしたと主張するが、<証拠略>中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。)。
よって、判断するに、右各処分は前認定事実により明らかなとおり、それぞれの異なる期間の原告の所為をその対象としたものであるから重複処分ではなく、また、処分対象事実は原告の勤務態度そのものであり、原告の担当職務に照せば、その改善の跡は一定の期間をおいて業績の向上を待つ等の手続を要さず日々の観察によって容易に識別できるものであること、その経過観察期間も本件譴責処分から本件減給処分までは約一か月間、同処分から第二次降級処分までは約二か月間、同処分から懲戒解雇までは約六か月間と順次伸長されていること、原告の担当職務は最も単純な軽作業というべきものであって更に配置転換等を行うことによってその勤務意欲の向上を図ることは望み難いこと等の事情を考慮すれば、右各処分が比較的短期間のうちに行われたことには合理性が認められ、これを著しく不当と評することはできない。更に、本件訴状が被告に送達されたのが昭和四七年一〇月一四日であることは当裁判所に顕著であるから、右以前の同月二日に同年九月二九日付でなされた本件減給処分が本訴の提起と無関係であることは明らかである上、前記のとおり処分対象事実は厳然として存在し、また、右各処分が比較的短期間のうちになされたことについても合理性を認めることができるのであるから、前記保証人に対する内容証明郵便の発送の一事から右各処分が本訴提起に対する報復であると解することは困難である(なお、<証拠略>中、昭和四九年一一月頃山口社長が原告に対して本訴を提起したから解雇した旨の発言をしたとの記載部分は措信できない。)。従って原告の右主張はいずれも採用できず、他に右各処分が権利濫用であるとするに足る事情も認められない。
(三) 以上によれば、原告を高辻サービスステーションに配置転換し前記職務を担当させたことは、原告に対する不法行為を構成するものではない。また、右各処分はいずれも有効であり、原告を右各処分に付したことも原告に対する不法行為を構成するものではない。
9 (<証拠略>に関する原告の主張について)
右<証拠略>が真正に成立したと認められることは前記のとおりであるが、原告は、種々の根拠を示して、これらはいずれも本件訴訟用に後日作成されたものである旨主張するので以下この点について判断する。
(一) 原告は、(証拠略)記載の審議内容は全く虚偽のものである旨主張するが、原告本人尋問の結果(第二回)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) 原告は、(証拠略)に対応する賞罰委員会(昭和四七年八月一〇日及び二三日)は開催されていない旨主張するが右委員会が開催されたことは、(証拠略)によって優に認められる。また、原告は、(証拠略)には、当該時刻に原告と作業をしていた宮崎係長が出席して発言したことになっている旨主張するが、同係長が当該時刻に原告と作業していたことを認めるに足りる証拠はない。更に、原告は、壹岐は(証拠略)記載の発言をしていない旨主張するが、(証拠略)によっても右事実を認めるに足らず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(三) 原告は、(証拠略)には、原告のした発言中記載のない部分がある旨主張するが、原告本人尋問の結果(第二回)中右主張に沿う部分は措信できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。仮に、原告の発言中一部脱漏した部分があったとしても、(証拠略)によれば、(証拠略)はいわゆる要領筆記によって作成されたものであることが認められるから、右事実は直ちに(証拠略)が本件訴訟用に後日作成されたことを基礎付けるに足りるものではない。
(四) 原告は、(証拠略)に対応する賞罰委員会(昭和四七月九月二九日)は開催されていない旨主張するが、右委員会が開催されたことは、(証拠略)によって優に認められる。
(五) 原告は、(証拠略)の記載中、原告及び中島係長の発言部分には事実に反する部分がある旨主張するが、原告本人尋問の結果(第二回)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(六) 原告は、(証拠略)の記載中、加藤課長及び中島係長の発言部分には事実に反する部分がある旨主張するが、原告本人尋問の結果(第二回)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(七) 原告は、(証拠略)記載の審議内容は全く虚偽のものである旨主張するが、原告本人尋問の結果(第二回)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(八) 原告は、(証拠略)では賞罰委員でない壹岐が出席したことになっている旨主張するが、当時(昭和四七年一二月一一日、昭和四八年六月二七日、同年七月一〇日、同年八月二三日)、同人が賞罰委員であったことは、(証拠略)により明らかである。
(九) 原告は、(証拠略)の山口昌良及び阿部浩道の署名は同人らのものでない旨主張するが、(証拠略)によれば、賞罰委員会の議事録には、委員長及び従業員代表者が記名押印することになっていたことが認められるから、右事実は蓋し当然のことである。また、右(証拠略)には阿部浩道名下に個人名の印影があるところ、原告は、組合委員長である同人が公式文書に個人印を押捺する筈はない旨主張するが、弁論の全趣旨によって真正に成立したと認められる(証拠略)の記載中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(一〇) 原告は、(証拠略)の筆跡はいずれも賞罰委員会書記のものではない旨主張するが、(証拠略)によっても右事実を認めるに足りず、(証拠略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。(証拠略)の筆跡が右書記のものであることに疑いを挾むべき事情も認められない。
(一一) 原告は、右(証拠略)の記載中には、賞罰委員赤井迪夫の出席状況、発言につき事実に反する部分がある旨主張するが、(人証略)中右主張に沿う部分は措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(一二) 原告は、右(証拠略)は当時使用されていなかった用紙によって作成されている旨主張するが、(証拠略)によれば、右(証拠略)作成時に当該用紙が使用されていたことは明らかである。
以上の次第であるから、原告の前記主張は採用できない。
三 被告の本案前の主張について
1(一) 被告は、権利者が当該権利を長期間行使せず、そのために相手方も権利者がその権利を行使することはないであろうと客観的に信頼し得る程度に期間が経過した場合あるいは権利を行使すること自体が客観的に不相当と認められる程度に期間が経過した場合等は、当該権利の行使は信義則に反しあるいは権利の濫用として許されず、その権利の救済を求める訴も不適法になると解すべきところ、第一次降級処分から本訴提起までには約七年の期間があり、その間原告は、右処分の不当性を主張したことはなくまた賃金についても右処分後の職位に基づく額を異議なく受領しておりその差額の支払を要求したこともないし、被告も右処分後の事実状態を前提としてその業務を遂行してきたものであるから、本件訴中、右処分の付着しない雇用契約上の権利を有することの確認を求める部分並びに右処分が無効であることを前提に賃金及び損害賠償金の支払を求める部分は不適法である旨主張する。しかしながら、被告主張のような場合に権利の行使が信義則に反しあるいは権利の濫用として許されないことのあることは肯認できるが、その場合であっても訴の提起自体が直ちに不適法になると解すべき根拠はない。仮に、権利を長期間行使しなかったことにより訴が不適法になることがあるとしても、これはその不当性が客観的に明白でこれを直ちに却下しなければ著しく正義に反する特段の事情がある場合に限られると解すべきである。そして、被告は未だ右特段の事情を主張しているものとは認め難く、また、本件全証拠によってもかかる事情は認められない。
(二) 被告は、原告は、被告に対し第一次降級処分につき黙示の承認をしたから、右処分の効力を争う権利並びにその無効を前提に賃金及び損害賠償金の支払を求める権利を放棄したものというべきであり、本件訴中右処分の付着しない雇用契約上の権利を有することの確認を求める部分並びに右処分が無効であることを前提に賃金及び損害賠償金の支払を求める部分は不適法である旨主張する。しかしながら、労働者の使用者に対する処分の承認は特段の事情のない限り、右処分の効力を争う実体上の権利を喪失させるにすぎないものと解すべきである。そして、被告は、単に原告は第一次降級処分を黙示に承認したというにすぎないのであるから未だ右特段の事情を主張しているものとは認め難く、また、本件全証拠によってもかかる事情は認められない。
2 (証拠略)によれば、被告における譴責処分は、始末書をとり将来を戒めるというものであることが認められるところ、被告は、同処分は被処分者の雇用契約上の地位に何ら影響を及ぼすものではないから、本件訴中、本件譴責処分の付着しない雇用契約上の権利を有することの確認を求める部分は確認の利益を欠き不適法であり、同部分が不適法である以上右処分が無効であることを前提に損害賠償金の支払を求める部分もまた不適法である旨主張する。しかしながら、使用者がなす懲戒処分はたとえそれ自体は法的効果を伴わない事実行為であっても(被告における譴責処分もまた事実行為と認めるべきである。)、以後の雇用契約関係に影響をもたらすものであるから(前記のとおり、新規程の中には、過去に懲戒処分を受けたことを処分の構成要件として定めている部分もある。)、右処分の効力に争いがある以上右処分の付着しない雇用契約上の権利を有することの確認を求める訴には、確認の利益があるというべきである。また、本件譴責処分が事実行為であることを理由に、その無効を前提に損害賠償金の支払を求める部分が不適法になるとすべき根拠も見出せない。
3 従って、被告の本案前の主張はいずれも採用できない。
四 (結論)
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく原告の被告に対する本訴請求は、すべて理由がないからこれを棄却し(但し、昭和四九年八月二五日限り二〇万五六三〇円の支払を求める部分は、六六五万九七八三円の支払を求める部分との関係で二重起訴になるからこれを却下する。)、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井上孝一 裁判官 棚橋健二 裁判官 福崎伸一郎)